潰瘍性大腸炎になった時からの気持ちの変化
潰瘍性大腸炎になってから
一通りの治療が終わったことによる気持ちの変化について
段階を追って説明していく。
最初に潰瘍性大腸炎と診断された時の気持ち
最初に潰瘍性大腸炎と診断されたときは
個人のクリニックで大腸カメラを受けた時だった。
その時は血便が出ていて下痢が続いていたため大腸カメラをすることになった。
検査の結果は潰瘍性大腸の疑いありだった。
潰瘍性大腸炎だった場合、
食事制限があることや、
原因不明であることを告げられ、
難病であることを告げられた。
しかし、この時の考え方は思ったより楽観的だった。
どうせすぐ治ると思っていたからだ。
あと、今までの食生活が悪かったのかな?とも思った。
ゲームを深夜遅くまでやり、漁師だけに朝早くから仕事をしていたのがいけなかったのかな?とも思った。
その後は食事制限通り、鶏むね肉や牛ももなど比較的脂身の少ない食事と、
消化しにくい食物繊維などは避けるようにしていた。
このように食を気にしながら生活をしていたが、状態は徐々に悪化していった。
この時は、食事制限をしていると美味しいもの食べれないなって感じで食に関するストレスが溜まっていった。
元々はアーモンドチョコレートやジンジャエールが好きだったのが一切食べなくなった。
潰瘍性大腸炎疑惑の診断を受けたので、大きい病院で検査をしたところ、やはり潰瘍性大腸炎だった。
この時も、やっぱりか?って気持ちしかなかった。
楽観的にはならなかったが、悲観的になることもなかった。
なるようになると思っていた。
最初の入院の時の心境について
最初の入院は社会人3年目だった。
仕事をしていたことから、仕事の心配ばかりしていた。
理由は11月に入院したんだが、11月はシーズン中であり、12月はお歳暮時期で繁忙期になるため、
さすがに繁忙期に人員が減るのは迷惑がかかるからだ。
最初の2週間は絶食だった。この時は食べたいという気持ちは全くなかった。
それよりも早くお腹が良くなってほしかった。
食事が始まってからは
大部屋だったのだが、同室のおじいちゃんや、おじちゃん、お兄さんがみんないい人で窓際に一列に並んで一緒にご飯を食べたりした。
コロナ下の現在では考えられないような状況だ。
退院が近づくにつれて名言を残した。
「食事制限を一生続けるなら大腸なんていらない」
だった。
一回目の入院から退院しての心境の変化
完璧に治ったと思って退院後すぐにいろいろ食べ散らかしてしまった。
1か月で血便がまた出るようになり、8年前は西洋医学ってこんなもんかと思っていた。
そこで東洋医学である広島漢方を発見した。
そこで広島漢方を飲み始めて寛解した。押してダメなら引いてみろみたいな感じだ。
「ここで先生に潰瘍性大腸炎は治ります。」
と言われた。この言葉には衝撃を受けたが、今は疑問でしかない。本当に治るのか。
しかし、肺高血圧になる可能性があるという副作用もあることから寛解したら、自己中断した。
自分の意志だから後悔はないよ!
再燃!そして大腸全摘出へこの時の心境
再燃してしまった時の心境は、再燃してしまった。仕事でまた迷惑かけるなって感じだった。
そこで前回寛解した広島漢方に頼ったんだが、寛解せずに悪化の一途をたどった。
前回広島漢方で寛解したから今回も寛解するだろうと安易に考えていた。
救急車で運ばれて思ったことは、もっと早くに普通の病院を受診していたら良かったなとは思った。
救急車で運ばれてからは絶食だったのだが、この時は食べ物が腸を通らなくなるから大丈夫だと思っていた。
ここも違った。下血がすごくなった。
下血がすごく意識を失ったことで、もう大腸があったら無理だと思い始めた。
今まで40歳くらいで死ぬかなーと思っていたが、さすがに33歳で死ぬことは恐怖でしかななかった。
娘も生後1か月だったことも死にたくないと思えた一因である。
緊急手術となった時は恐怖と共に安心した感もあった。
緊急手術が終わってからは、なんか一皮むけた気がする。
死という恐怖もなくなった。
もっぱらこの先の仕事のことで頭がいっぱいである。
この体でどんな仕事ができるのか。やっぱ頭を鍛え経営力を育てるしかない。
おわりに
後悔
大腸全摘まで後悔したのはもう少し早く病院に行っていたら良かったと思う。
8年で医学が段違いに進化していたことから、病気に対する最新情報を取得していたら結果は違っていたかもしれない。
寛解人の生活はおくれないこと。
良かったこと
とりあえず大腸全摘自体は死ななかったからOK
後悔の部分もぶっちゃけそんなには後悔してない(笑)
だって食べたい物食べれるもん
このくらいの感じで全摘に臨んでもいいのでは?
でも大腸残せる間は絶対に残していいた方がいい!!
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