小学生時代
祖父の代から牡蠣の養殖を始めて、牡蠣Pが小学生の頃には祖父母と両親で牡蠣の養殖を営んでいた。
年末はお歳暮商戦で常に忙しく、そして猫の手も借りたいぐらいだった。
そのため、小学生ながら冬休みは牡蠣の出荷作業や、牡蠣の選別作業をしていた。
少ないながらもお給料をもらったのは記憶に残っている。
中学・高校時代
中学と高校時代は野球部に所属していたこともあり、牡蠣の仕事はほとんどしていなかった。
高校時代は牡蠣の養殖を継ぐことは意識していたので、水産学部のある大学を第一希望にしていた。
しかし、野球をやりながら勉強する体力がなかった。
当時、漁業後継者だと評定平均3あれば入れるはずの、水産大学校の推薦枠も、
評定平均が足りない始末だった。
一般受験では、県外の水産学部のある大学はすべて不合格だった。
県内の水産学部のある大学には合格したものの、
県外での生活を望み、福男県の近畿大学の経営学科に入学した。
大学時代
大学では経営を学ぶにあたって、お金の動きに興味を持ち始め、簿記の勉強をし始める。
ひたすら会計の先生と勉強し、2年生で日商簿記3級を、3年生で日商簿記2級をとった。
また、お金の勉強であるFP3級も独学でとった。
いつの日か、経営に役立つと思い。
大学時代は、長期休暇のたびに牡蠣の仕事を手伝いに広島に帰っていた。
4年生になると、学校に行くこともほとんど無くなることから福岡のアパートを引き払い、
車や新幹線で通学していた。
就職活動
大学4年生の時はちょうど、就職氷河期の時代だった。
簿記2級とFP3級を武器に就職活動をするも、自分の実力がなかったためか、すべての企業の面接で落ちてしまった。ちなみにこの時には2級小型船舶も取得済み。
さすがにバイト経験が、父の営む牡蠣養殖だけだったのが落ちた原因かもしれない。
そのため、父が営む牡蠣養殖を手伝うことになった。
3年くらいは外で修行する予定だったけど、まあ、就職先がなかったのでしょうがない。
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